バブル世代は幸せか №2
働くオンナ道
2019.07.12
・・・先回の続き
「某大企業Tには“有給”という制度があるらしい」
有給休暇の存在すら教えてもらえなかった我々は、よくこんな噂をしたものです。
過酷な勤務で体を壊す先輩もいましたが、病院に行く休みなどもらえるわけがありません。なんせうちの銀行には「有給制度がない」のですから(今思えばそんなわけない)。
昼休みが取れないこともしばしばで、その日の社食が「味噌カツ」だったりすると、己が哀れで涙で前が見えなくなったものでした。
大変だったのは仕事だけではありません。当時はどの会社にも「今なら速攻クビか左遷だな」と思うようなパワハラセクハラが横行していたものです。
「このハゲーーーーーッ!!」なんて怒号も「みんな、ハズキルーペを置いて。キャッ♡」的なことも、見慣れた平和な日常の風景。
「傘もささずに原宿♪」と振られたら、間髪入れず「思い出語って赤坂♪」と出ていけるようデュエット曲もマスターしておかねばならない。
バブル期の会社ってブラック・・・。
もちろん女性の多様な生き方も認められておらず、「女は短大を出て2~3年程度勤め寿退社し、専業主婦になって子どもを産む」ことがスタンダードとされていました。25歳になると「売れ残りのクリスマスケーキ」と揶揄されたりしてね。でも25歳って、まだAKBセンターぜんぜんイケる年ですよっ!
そしてこの「女の人生すごろく」から少し外れると後ろ指さされたり奇異な目で見られたりと、女性にとってけっこう窮屈な時代だったのです。
さて、「普通に人生のレールに乗った」女性も今やアラフィフ。
バブル時代OLをやっていて、親や周りの意見に従って家庭に入ったものの、時代が変わり景気が悪くなり、とつぜん安倍さんに「女性が輝く社会っ!」「人生100年時代っ!」「だからねんきん支給延ばすねっ!」と宣言され、私のように慌てて社会に戻ってきてヒーヒーいいながらパートや非正規で働いている女性も少なくないと思うのです。
確かに我々は洋服に肩パットを入れていました。結婚式は親の希望で教会で鳩を飛ばしました。友人はドライアイスの中を花飾りのついたゴンドラで降りてきました。
しかし、私たちバブル世代の女性もまた「社会に翻弄されてきた」 と思うのです。
当時働く女性に対する社会の風当たりは強かった。実際、私も入社式で「新入社員の皆さんおめでとう!で、結婚したら辞めていただきますからヨロシク」って言われたし。
我々も世間からあーだこーだ冷たい目で見られても必死で、皆さんと同じ厳しい時代を生きております。
「子育てしてね。仕事もしてね。介護もね。」国のツケをなぜか一気に背負わされる感のある女性。
令和が女性にとって、生きやすく働きやすい時代になりますように!