元駐妻の私が働きに出たワケ~YUKOのブログ~
働くオンナ道
2016.08.20
駐妻とは、「夫の海外転勤に帯同する妻」
みなさま、「駐妻(※駐在妻)」という言葉を耳にしたことはありますか?
うむ・・・やはりウィキには載っとらんな。
駐妻とは、「夫の海外転勤に帯同する妻」を指す言葉であります。私は12年間もの間、駐妻として世界を駆けめぐる生活をしてまいりました。・・・・ウソをつきましたすみません。世界ではなく、「日本と中国」をチョロチョロ行ったり来たりしていただけです涙。 ああダンナの会社にはおフランスやらイタリアなどのオシャレ拠点があるではないか。しかも私は子供のころから「大きくなったら自分はアメリカに行く」と思い込んできたではないか。短大も英語科を選んだではないか。ところがだ。なにが引き寄せの法則だ、何を引き寄せての中国だ? 「パンダかわいー!」とアドベンチャーワールドで胸キュンしたせいか。それとも餃子の○将にしょっちゅう行っていたせいか!ともかく私の人生はアメリカと1ミリの縁もなかったらしいのです。私もネスプレッソ片手に、英語で「What else?」とか言ってみたかった涙(もう英語をすべて忘れてしまいました)。
一言に「駐妻」といっても、「どこに駐在するか」で人生は全く変わります。そしてそれは中国国内でも言えること。中国には大都会もあれば、日本人がほとんどいない、コンビニすらない極寒の地方都市もあるのです。いやー、広いよなあ中国(涙)。
大都会に駐在すれば、そこそこ華やかで楽しい駐妻ライフが送れます。でもそうでない場合は・・・。 駐妻には「駐妻地域格差」が存在するのです。が、それは後日語ることにいたしましょう。 会社への恨み節はこのへんにして、話を本題に戻したいと思います。
かる~い気持ちで大学にから、資格を武器に就活へ
2つ目の駐在地で、私はかる~い気持ちで大学に入りました。だって、「もう一度大学で学びなおす」・・なんかカッコよくないですか?響きが(←ダメ人間)。そして、そこで同じクラスになった日本人駐妻二人と仲良くなった私は、優秀な二人についていくために勉強することになったのです。 賢い二人が先に取得した資格を私も“なんとか”取りました。そして帰国が決まった時、その友人が私にこう聞いたのです。 「YUKOさんは、帰ったらなにをするつもり?」 ・・・・・。
私はスライドを含む8年の駐在生活でかなり疲弊していました。だから日本に帰ったらノンビリ暮らそうと考えておりました。もう不惑の年も過ぎたことだし許されるだろうと思っておりました。でも、彼女にそう聞かれたとき、軽いショウゲキを受けた自分にショウゲキを(ややこしいな)受けたのです。
今まで私は「自分が駐妻である」ことに無意識にアイデンティティを求めていたと気付いたのです。どこにいても、何をしていても、ブレることなく生きていける人がいます。ですが、ザンネンながら私はそうではありませんでした。いま帰国して駐妻という肩書を失ったら、ブレブレで自分の軸を持たない私は取り敢えずどうしたらいいかわからない・・・。 というわけで、「やっとの思いで取った」心もとない資格だけを武器に、私は船便の荷物もまだ届かぬうちに(※年齢が一日でも若いうちに)「新しいアイデンティティを確保する」ために“なんちゃって就活”を始めたのでありました。